2012年10月16日火曜日

バイクの引き取りをしてきました


私がカイロから帰国したのは9月25日
実はバイクの方はそれより一週間も早く日本に到着していたらしく
某倉庫会社(U社)の倉庫に入庫している事に気がついたのは
某海上輸送会社(A社)から引取りの催促の電話がかかってきてからでした

書類(Arrival Notice)はFAXで届いていたのですが
普段FAXを滅多に使う事が無い上、ケニア側の業者から
Eメールで連絡するとか聞いていたのでコレは予想外
それだけならともかく、到着して一週間までに引き取れば倉庫使用料はかからないらしいが
それ以降は1立方メートルあたり800円くらい掛かる
という訳で無駄な倉庫代を払うことに・・・・最悪だ

まずはA社に連絡をして手数料とか書類代とか18000円ほどを振り込み
それを確認すると荷渡し指示書という書類(D/O Delivery Order)という書類を送ってくる
まずはこの書類を手に入れ
次にU社へ連絡をいれる

A社と比べU社の第一印象は良くない
イマイチはっきりと受け答えをしない担当者がボソボソ喋り
それだけならともかく、受話器を保留しないで他の人に聞くものだから会話が聞こえてくる
内容がアレな内容だったので結構な不快感
この時点で嫌な予感がする
よく考えれば出国の時の通関業者も・・・・
しばらくしたら普通の人に代わり説明を聞く

最終的に必要だったのは
・倉庫の保管料
・荷渡し指示書(D/O)
・自動車のカルネ
   
 の他に

・税関の許可書
まず、初めに倉庫会社よりも前に税関に行く必要があります

こう書くのは電話でそんな大事なことを言われなかったからです
そして、それが原因で、ものすごい不快な思いをしたからです

とりあえず、言われたものを集めてU社へ
場所は倉庫のある東京湾の大井埠頭
軽トラックをレンタルして行く




幅の広い道路に行き交う大型トレーラー
軽トラックが場違いな感じがする

そして辿り着いたU社の受付
忙しいのか、性格なのか受付のおっさんが忙しく動き回っている
適当に受付で待って必要と言われた書類を出すと

おっさん「税関の書類は?」
私「書類ってなんですか?」
おっさん「いや、こっちが聞かれても訳わかんないんですけど?」
私「はい?何の事でしょうか?」
おっさん「ききてーのこっちだよ」

日本人同士なのに意思疎通できない!?

話を統合していくと引取りには税関の許可書が必要だとの事
電話でも言われていないから、もちろん初耳

決まった業者間しか出入りしない業界だからなのか
いままで会った業者の仲でトップクラスの上から目線
近所の模型屋や職質の警官より酷い!

出せないというならこの人に聞いても仕方が無い、税関に行って聞くことにする

そこで、近くにある目的地「東京税関大井埠頭出張所」に向かいます
この中に入ってすぐ見える案内板で
「初めての個人通関」という事で3階へ
担当のお姉さんが親切に教えてくれました
さっきのU社と比べて温度差がすごい

いくつかの書類が必要だが、いずれも同じ建物の食堂で書類が購入できる
ただ、必要となる収入印紙(400円分)は近くのコンビニで購入しなければいけない


手取り足取り教えてくれる中で驚愕の事実が明らかになる


これは私のカルネなのですが・・・・わかりますか?

ケニアの出国スタンプが2012年8月15日に押されてますが
右上に書いてある有効期限が2012年8月8日になってるのがわかりますか?

カルネは一年間、無税で自動車を出入国させるものなので
一年を過ぎた自動車は税金がかかってしまうのです
正確に言うと自動車には関税が掛からない・・・だが、消費税は発生してしまう
これはカルネに記載された評価額と要した送料から判断される
計算してもらうと15000円くらい掛かると言う・・・・うわあぁ~

最後の最後でMr.ジョンのトラップが発動する
頭の中で「ノープロブレム!ハーハッハァー!」の声が響いた気がした

優しい職員のお姉さんがJAFに連絡して調べてくれる事になった

その結果、税金はなんとか回避することが出来た
理由は以下の通り

東京税関の見解
・日本製の自動車の逆輸入は税金がかからないから
・(つまり、ドイツ製のBMW等、外車には課税される恐れがあるという事か?)

後日相談したJAFの見解
・国際ナンバーや登録証書を発行してカルネを作製している
 日本国内に登録がある自動車は無税で行き来させる事ができる
・(外車も日本国内に有効なナンバープレートがあれば課税対象なならないと言うことか?)

ともあれ、事なきを得ることが出来た感じだ


そもそもMr.ジョンに発行して貰ったインボイスでは日付は2012年8月6日になっている

これで晴れて引き渡し許可書を貰うことができた
そのあと税関職員に「貨物の検査をさせて貰いたい」との話があった
なんでもケニアからの貨物は珍しく、取締りに協力してもらいたいとの事
特別に荷物を早く引き取ることが出来る書類を使って
(早く引き取るにはお金が別途掛かる)自己負担もあるが、さっさと帰りたいのと
中身が木箱で梱包させているので、それを剥がして貰うという利害が一致したので承諾する
(中身を見るには解体しないと中のカバンが取り出せないから)

つまり、荷物検査の為に一度、税関に戻る必要がある

そしてU社に戻り、面倒な受付のおっさんの話を頑張って理解して書類一式を出して
倉庫代を支払い、ヘルメットを借りる

おっさん「終わったんで、さっさと帰って貰って結構です」

言われんでも帰るわ・・・つか、思っても普通口に出せないだろうが・・・
とても客相手の商売とは思えない
どうしてテンパッてるのだろうか・・・

そしてヤード内に入り、荷物を引き取る
この荷物の引き取りはまた面倒だった
木箱は長方形の箱で、そのままだと安定が悪いので下にフォークが差し込める隙間がある
だが、それをあえて無視して四角いパレットに載せたまま荷台に乗せるフォーク運転手
荷物はグラグラしてる・・・・流石にありえねぇ

このまま段差でも踏もうものなら木箱ごと路上に転落する
そう思い急遽、荷留めベルトで固定する
乗用車ならともかく、後続のトラックにはウインカーやストップランプも見えないだろう

税関で木箱を解体できなかったらどうしようと考えながら
ヘルメットを返却しにいくとさっきの受付のおっさんが引き取りのドライバーにキレられていた
運送業界では当たり前の光景なのかもしれない
態度を求める仕事でないのは簡単に理解できるが、この辺はケニアより酷そうだ

そして車を出してゆっくり、慎重に税関まで辿り着く

そして税関の人たちがまた優しい
厚意ですべての木箱を解体してくれた
特に問題になるような物はなかったが
他の荷物をバイクと一緒にした点について注意を受けた
荷物とバイクは必ず別に発送しないといけない決まりらしい

久しぶりに見る愛車のジェベル
ボロボロで汚いのはそのままホコリをたっぷり被っていた






解体した木箱
厚意でここまで纏めてくれた
邪魔なパレットも回収してくれた

感謝!

後日はカルネの返却をしにJAFへ


やはり、カルネの期限切れを指摘される
本来なら税関のスタンプを確認してもらい、クレーム処理の委託金を返金して貰えるが
私の場合はカルネの期限が切れたので返金がしてもらえなかった
時効?になる1年半後までにクレームがなければ30000円を返金してもらえるそうだ

もちろん、クレームが実際に合った際には役に立つかと思い
インボイスを提出した



絶対に無くしてはいけないクレーム処理預かり金の書類

ほか、国際運転免許書は最寄の警察署に返却して
ひとまずの手続きを終える

2012年10月1日月曜日

2011年8月から2012年9月のツーリングまとめ


さて、これで一年にも渡った海外ツーリングは終わりました
長いようで短かった一年になりましたが
無事、日本に帰り着く事ができました

心配だったバイクでの旅行ですが
いくつかの困難やトラブルに見舞われながらも思ったのは
「案外、普通に旅行できる」ということです

もし、あなたが海外旅行に興味があり、尚且つツーリングが好きだったならば
バイクによる海外ツーリングというのは如何でしょうか?
確かに、通常のバックパッカーよりお金は掛かってしまうかもしれませんが
”そこまで飛びぬけて費用がかかる”という訳ではありません

バックパッカーにはバックパッカーの、チャリダーにはチャリダーの
そしてライダーにはライダーの世界があります
旅行のスタイル次第で全く違った世界が見れることでしょう
具体的にどう違うのか?
それは自身の目で確かめてみませんか?




海外に旅行に出るのは学生の時以来、久しぶり
バイクに乗って旅行という初めてのスタイルに惑うことも多々ありましたが
バックパッカーという「スタイル」自体、私が知っているものと変わっていました

旅行者たちがザックにしのばせた地球の歩き方やロンリープラネット、ポケットに入ったペン
出会う旅人たちと交わした情報を書き留めたノートは
スマートフォンやノートパソコンにとって代わり、情報源は旅行者のブログに移行しつつ
互いに交わした連絡先はフェイスブックにとって代わりました

昔はメアドを交換しても、一度も連絡が無いのが普通でしたが
フェイスブックならば、先行する旅行者の情報を参考にしたり
こちらがアドバイスをすることが出来たりと
バックパッカー向きなSNSでは思います

私がフェイスブックを始めたのは2011年末のグルジアから
こういったSNSが苦手で、ミーハーな人しか使ってないかと思ったら意外や意外
それ以降合った人たちでフェイスブックを使わない人はわずか数人でした

本の媒体であるガイドブックが定番です
ですが、それと同数以上の人がノートパソコンやスマートフォンを持っていました
ガイドブックをスキャナーで電子化し、オンライン購入し
それをパソコンやスマホで読む時代に移りつつあるのです

昔、タイのカオサンでノートパソコンを持ち込んでいる人に会ったことがありましたが
「すごいなぁ。よく持ってきたな」という感想を持った記憶があります
カオサンから日本へ国際電話をかけるときもネットカフェでそこそこのお金を出して
電話をかけた覚えがあります
(あの時はSkypeやNimbuzzなんて知らなかった)

安宿の多くも無線LANを備えインターネットカフェで情報を収集してた
あの頃と比べると最近の技術進歩には驚くばかりです

5年後、10年後、20年後、50年後・・・・
世界はどのように変わり、情報の伝達方法はどれだけ多彩になるのでしょうか?

そのような世界をもう一度、旅することができればと思うのが今現在の心情です


今回の旅行にあたり助け、サポートしてくださった
旅行者のみなさん、そして温かく迎えてくれた世界中の人たち
深く感謝します
機会があれば、また世界のどこかでお会いしましょう